“仏壇”今昔ものがたり
お仏壇の誕生
昔々のお話です。
仏教が日本に伝わったのは、今からおよそ1500年も前のことです。当時の日本にはすでに『神道』という考えがあったため、『仏教』を受け入れるかどうかで国を揺るがす大きな騒動となりました。そんな中『仏教』を支持する大きな力となったのは、かの有名な聖徳太子です。彼は仏教を敬う憲法を作ったり、四天王寺や法隆寺を建てたりとその時代の仏教の普及に努めました。現在でも法隆寺には、数多くの仏教美術が展示されていますが、その中の一つ『玉虫厨子』が現存する日本最古の仏壇の原型とされています。
それから数十年後、聖徳太子の遺志を受け継ぐ天武天皇が「家に仏舎を造り、仏像や経本を置いて礼拝しなさい」というおふれを出し、仏教・仏舎(仏壇)という文化が国中に浸透したのでした。(そのおふれが3月27日に出されたことから、今でも毎月27日は“仏壇の日”と言われています。)
お仏壇の三大ルーツ
現在のお仏壇の形には、大きく分けて3つのルーツがあると言われています。
まず1つが『小型寺院』です。その名のとおり、お寺を小さく模した事がはじまりだとされており、有名なところでは金閣寺・銀閣寺もこの小型寺院の造りとなっている場所があります。
次に『魂棚』と言う考えです。魂棚とは言い換えれば精霊棚ともいい、お盆の時期によく設置される供物台のことです。日本にはもともと“御霊(ごりょう)信仰”という考えがあり、御霊(=非業の死を遂げた貴人の霊)は人々に実りをもたらすが、災いももたらすとされていました。その魂を慰めるという考えは、そのまま先祖供養という考えになっていったとされています。
最後が『位牌棚』と言われるものです。日本家屋に良くある“床の間”に位牌を安置し供養したのが位牌棚のはじまりとされ、銀閣寺の東求堂は古い時代の位牌棚があることで有名です。江戸時代には位牌のほかに掛け軸や三具足(火立て・花立て・香炉)も飾り、今のお仏壇とほとんど変わらないものをお飾りしていたようです。
仏壇?葬式仏教!?
今でこそ、どこの家庭でもお仏壇を見ることができますが、全国で普及し始めたのは江戸時代の寺請制度(檀家制度)が制定されてからでした。「すべての人はどこかのお寺の檀家になること」がこの制度の目的で、お仏壇はお寺の檀家であることの象徴だったのです。この制度のおかげで寺院の経営は安定しましたが、かえって寺院や僧侶を堕落させることにつながったと批判される原因にもなりました。この制度が制定される以前は、一周忌から三回忌くらいまでの追善供養が一般的でしたが、制定後は三十三回忌まで増え、こんなに追善供養が必要なのかと言う人々の批判が“葬式仏教”という呼び方につながったのです。
しかしその一方で、寺請制度が社会の欲求から生まれたのも事実です。庶民の多くは心のよりどころとして、葬式や法要の場として、また先祖の霊を管理する機関として寺院を必要としたのです。
手を合わせて「祈る」という事

「この世に生を受けたということ」「毎日無事に過ごせるということ」「家族・知人・まわりで支えてくれる人がいてくれること」
そんな、日々の暮らしに感謝することが、手を合わせて『祈る』ということの本質なのではないでしょうか。
お仏壇とは、そうした人々が感謝を込める・祈りをささげる場なのではないでしょうか。
「感謝」や「祈り」が希薄になっている現代だからこそ、改めて「お仏壇」の意味を考えていきたいものです。
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